風はどこから吹くのか / 存在価値について

(Het Respijthuis, Den Haag, 2025,6)

一つ、腑に落ちたので書いておく。

例えば、つい主張してしまう、表には出さないけれど感情的になる、相手からの愛を試してしまう、人間関係がうまくいかない。こういう自覚がある人。自覚はなく、人生に大きな問題はないと感じていても、心の奥に澱のようなものが溜まっていて時々心がもやもやする人。それらの根底にあるものは、存在価値の問題だ。自分の存在価値はどれほどのものなのか、知りたい。知りたいということは、あるのかないのかわからないということで、もっと言うと、確信が持てない。自分の存在価値は何もないのではないか?と実は思っている。こういうケースは非常に多い。セッションの初めでは、こんなテーマはまず出てこない。半年、一年、自分のエネルギーと真剣に向き合っていくと、ここに辿りつく。とても恐ろしく、かつ何よりも重要なテーマだ。存在価値がなかったら、どうするのか。存在価値とは何なのか。どうやって確かめればいいのか?わからないことだらけだ。

人間関係で、ぶつかる。表面的には穏やかでも、深く関わるとややこしくなるので浅く関わる。自分とは違う感性、感覚、価値観の他人を受け入れられない。ちょっとしたことで、自分を否定されたように感じる。自分の人生はこう。と、どこか無意識に言い聞かせる。演出をかける。理由をつくる。自分なりに頑張っている、何となく必死、心のままに生きているつもりで、人からどう見えるかを気にしてしまう。気づけば、相手に合わせすぎている。存在価値がないから、自ら必死に自分の存在に重みを持たせようとする。私が正しい、私が主役、と周囲の人を巻き込む。

存在価値のない人が、あとから重みを持たせようとしてもハリボテになる。存在価値というものを感覚的にわかっていない。存在価値は、人の中で輝くことでもなく、素晴らしい自分に満足することでもない。自分の心そのもので、濁りなく感じること。誤魔化さない。心に余計なものを付着させない。たったそれだけのこと。これが、難しい。

自分の存在に重みを持たせるのではなく、存在の軽さをなくすこと。

違う視点から具体的に言えば、幼少期に親(または近しい大人)から、自分の存在を軽く扱われていたということになる。このエネルギーをクリアにする必要がある。

重要なのは、自分の存在を軽く扱った人(主に親)に、何か特別な意図があったわけではないと理解すること。そこにはただ、「存在の軽さ」というエネルギーの伝染がある。例えば風が体の中に流れ込むように、エネルギーが体の中に浸透して定着した。その感覚を、思い出すだけでいい。

風はどこから吹くのだろう。べつに知りたくもないのに、悪あがきのようにふと思う。とりとめもなく。

エネルギーワークは、ネガティブなエネルギー(感情問題)をクリアにするためのものだけれど、ネガティブなエネルギーは決して忌み嫌うものではない。そこにはその人の格闘があり、生きる目的があり、その人がその人である理由がある。

 

人生って、なんて素晴らしいんだろう!

 

 


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