失われた感情を復活させる

 

(2024年11月3日、友人の住むハーレムにて撮影)

深く心に問いかけると、答えは既にある。

自分が求めているものも、やりたいことも本当は全部わかっている。それを自由に感じとれないのはなんでなんだろう?

「私はこう感じる」たったこれだけのことが、できない。または、感じたことを信じきれない。他の人が違う考えをしていると、ぐらつく。誰かに確かめたくなる。

エネルギーワークを教える仕事を10年近くしていても、こういう感覚はまだある。でも、この感覚こそが一つの成長なのかもしれない。エネルギーワークを学ぶ前は、こういう自覚すらなかったから。

人生で壁にぶつかったとき、何を頼りに進むかは非常に重要なポイントだと思う。

以前の私は、感じるということがわからなかった。だから、「普通はこうだよね?」という一般的な考えを軸にしたり、本を読んだり、人と喋ったりするなかで落としどころを見つけていた。で、自分はどう感じるんだよ?と当時の自分に突っ込んでも、返事はないだろう。そういう発想も感覚も、なかったから。

「私はこう感じる」、これを軸に進むことができたら、どんなときでも最強だ。

感じるというのは、きわめて自由に、自分の中から湧き出てくるもので、自分の外にある選択肢から何かを選ぶことではない。「感じる」に普通も常識もない。もっと原始的で、秩序もない。

人生の壁にぶつかったときだとしたら、例えば「悲しい」とか「残念」とか、そういうただ溢れてくるそのままの感情。これを感じきったら、次に進むことができる。

でも、それが出来ないから、「なんで」とか「xxだから仕方ない」とか「xxがあるから大丈夫」とか、そういう感情ではないものを感情と置き換える。感情を感じないから、学びが進まない。だから、同じ学びを繰り返す。これがエネルギーワークをはじめる前の私。

やっぱり、感じるってこわいから。

こどもの頃はいろんなことをダイレクトに感じていたのに、なぜ今はこわいのか?と言うと、傷ついたからだと思う。誰かに傷つけられたという意味ではなく、この世界で人と関わるなかで、ありのままの感情に蓋をせざるを得ない瞬間を誰でも経験していて、そのときに傷つくんだと思う。

今の私は、その失われた感情を復活させることができる。時間と手間はかかるけれど、それ以上の価値を実感しているから、私はエネルギーワークを続けている。


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