感じることを奪われて

(上級者の方向けです。)

長年の疑問があった。なぜだかわからないけど、わずかに話を盛る、ちょっと大げさに言う、少しだけ話を変えて伝えてしまうこと。それで何かが大きく変わるレベルの脚色ではない。例えば、15分待ったのに20分待ったことにする。はっきり言ってどうでもいい。でもどうしても5分足さないと気がすまない。これは一体何なのか。なぜそのまま話すことが出来ないのか?そこに意図はなく、まるで口から勝手に微妙にズレた情報が飛びだすような奇妙な感覚。

この件はまだ私の中で完全にクリアになっていない。とりあえずいくつか感じたことを書いておく。

1、感じたことをそのまま伝えたら否定される、相手に聞いてもらえないと思い込んでいる。

幼少期から自分が感じたことを親に消されてきたから。親以外の人もみんな自分を否定してくると思い込んでいる。また同じように否定されて傷つきたくない、真っ向勝負はしたくない。だから少しだけ方向性をズラす。そうすればもし否定されても急所には当たらない。または、そのまま話すと聞いてもらえないから、聞いてもらえるように少し濃いめに味を足している?

2、コントロールを取ろうとしている。

話を少し変えることで相手の心を動かせるような錯覚がある。なぜそんなことをしなきゃいけないかというと、コントロールを取るか取られるかの世界にいるから。つまり自分のコントロール(軸)がないということ。自分の軸はどこへいったのか。もう何十年も前に親に明け渡したのだ。なんてこと!この件は長くなるのでここでは省略。

3、「お前が間違っている」というパターン

ちょっと話が食い違えば「お前が話を変えている」何かが壊れれば「お前が壊した」意見が違えば「お前が間違っている」両親にずっとそう言われてきた。本当に不愉快だったけど、それは私にスポットライトが当たる瞬間でもあった。あの手この手で反発したけれど私の主張が通ることはなかった。残念なことに私はこういうリスペクトも境界線もないやりとりこそがコミニュケーションだと深いところで勘違いしてしまった。だから、人と関わるとなったら必ずこのパターンをやってしまう。私は何かを間違えつづけ「間違ってるよ」と指摘され、反発し、負けつづけなければならないのだ。


クラス、セッションの詳細はこちらです。お申し込み、お問い合わせはこちらまでお願いします。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA