この数ヶ月はまたいろんな学びがあった。本当にすべてエネルギーのとおりに現実がつくられているのを実感できた。一つのドラマを抜けられたような気がしている。
クリアリングにおいてのドラマとは、その人だけの思い込み、ドラマの主役になったように感情が揺れ動くこと。不安になったり落ち込んだり、高揚したり感激したり、自分としては違和感はないのだけど実はナチュラルな自分の感情ではなく、おきまりのパターンをやっている。
「何かが違う」と自分で気づく人もいる。気づけた人は人生が前に進むと思う。長い間、本当は違うことに気づかず思い込んでいると、どうしても人生が難しくなる。現実で学ぶことになる。でも一生ずっと…というか、前世、現世、来世とずーっとドラマをやっている人もいるかもしれない。学びのスピードには個人差がある。
書けば長くなるんだけど、私には「ハラハラドキドキする」というドラマがあったと思う。実際にはどうでもいいことや対処できることも、とりあえず一度は「はっ、やばいかも。大変!」という気持ちを通過儀礼のように味わう。
もちろん、これがドラマだという自覚はなかった。何か思いどおりにいかないことがあると、「どうしよう!」と必要以上に大変なことと解釈する。しかし、同時に冷静で動じない一面もあるので(多分こっちが本来の自分)、ザワつくのは一瞬。
ドキドキしても疲れるだけだし、時間とエネルギーの無駄だなぁと思って掘り下げていくと、まず、あえてドキドキする方向に現実を自ら引っ張っていることがわかった。相手と自分とのフェアなコミニュケーションではなく、一方的に自分の考えを押す、相手の気持ちを感じないで決めつける。そうすると当然だけど「えっ」と思うことが起こる。そして「なんで?」「どうして?」と落ち着かない気持ちになる。※相手も同じ気持ちになっている
自分としては正しいつもりだったし、それは世間一般でいう正論だったかもしれない。しかし、一方的な正論の押し付けはコミニュケーションではない。
なぜ一方的に押し通すのか?そこには、人と対等に関われない理由があった。自分は劣っている、恥ずかしい、駄目な人間だという思い込み。この思い込みを覆すために、自分は正しいんだと証明しなければならない。相手と意見を交換して譲り合うなんてとんでもない。このドラマ、最初から最後まで父方の祖母からの貰いものだった。
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