DVとかモラハラとか  …と希望

それはモラハラだ、我慢する必要はない。あなたは悪くない、とか。

そういう見方は、少しは役に立つ。客観的に冷静に物事を見るために。それによって(一時的に)救われたと感じることもあるかもしれない。自分は間違っていなかったのだと。私もそうだった。

でも、それは何の救いにも学びにもならないと今は思っている。それは物事のほんの表面の、小さな一部分を切り取ってラベルを付けているだけ。人と人との関係は、そういうものではない。いつだって言葉に出来ない、目に見えないもので成り立っている。どんな関係でも。

もちろん暴力は絶対的に悪いし、ハラスメントをする側には確実に問題がある。しかし、被害者である(らしい)あなたは、何故そういう状況に身を置くことになったのか?そんなつもりは全然なかったとしても、その現実をつくったのは自分自身だ。

人間関係で問題はないほうがいい。だけど学びは避けられない。人生の課題は、逃げれば逃げるほど嫌なかたちになって追いかけてくる。

悩みや問題に直面する人と関わるたびに、私は希望を感じる。それは「あなたはこの課題に取り組む準備ができている」ということだから。

 

 

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