依存できる喜び

オランダは今日も夏日。植物がしおれてる。何かが足りない…と思ったら、蝉の声が足りないのだった。この日差し、この気温、で、この静けさ?なんともいえないスカスカ感。

基本的に暑い日が好きなので、こういう日はいつまでも外を歩きたくなる。こどもの頃、夏に母の実家の九州で過ごしたことが影響しているんだと思う。祖父母に可愛がってもらって、美味しいものをたくさん食べて、プールで泳いで、とても楽しい日々だったと長らく思っていたんだけど、エネルギーを勉強するようになって見方が変わった。

平和な夏休みの幸せみたいなものも確かにあったと思うんだけど、何よりも母が母の両親に依存できる喜びのエネルギーに包まれていた。エネルギー的には、だめなやつ。

しかも、そんな楽しい日々だったはずなのに、母から暴言を吐かれたり馬鹿にされたり、そういうことしか思いだせない。そういう思い出すら、なぜか美しい記憶に組み込まれて感じなくなっている。

依存できる喜び、これこそが本当の幸せであり、これさえあれば何も要らないと本気で思っていた。そう錯覚できたときは高揚して「これだ!」と思った。わりと最近まで。

エネルギーでみたら正反対で、少しもクリアじゃない。依存のはじまりは地獄の入り口。本来の自分をドブに捨てて破滅に向かっているだけ。私に限らず、こういう人って多い。若い人の恋愛相談なんて、殆どがこんな感じ。

自分の人生を生きることが怖いというより、自分で人生を生きられないと本気で思ってる。誰にも頼るなという意味じゃないよ。軸を自分に持って、必要なときは助け合えばいいの。軸を丸ごと委ねるか、逆ギレして孤立するか、この苦しい世界の根底には、「当然、依存できる」という間違った思い込みがある。

依存のエネルギーがある人は他人を尊重しないけど、同時に尊重されなかった人でもある。その両方をしっかり自覚して、感じなくては。


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