お金は大丈夫かなぁと思ってふと外の木を見た。少しだけ葉っぱが揺れた。そうだ、木に葉っぱがついて実がなるように、お金は巡るものだった。あたりまえに。自分が流れを止めさえしなければ。
お金の問題はコントロールの問題。人生のコントロールが取れていないから、人生を諦めるかわりにお金にシフトしてドラマをつくる。
お金から溢れだす幻想を初めてみたのはいつだろう?8歳か9歳か。確かに何かが埋まる感覚があった。そしてそれ以上の空虚さがあった。お金の先に広がる、中身のない世界。自分の心がどんどん遠くにいく。嘘に嘘を重ねていく。
友達と駄菓子屋にいくことになって、父が小銭をくれた。あのとき感じたお金のエネルギーは妙に軽く、ざわついていた。軸がない、輪郭がない、うっかりすると溶けてなくなってしまいそうな儚いもの。
ある日、一人で小銭を数えた。木の廊下の上で。たくさんあると思ったのに、10円玉が26枚と気づいて虚しくなった。
「一人でなんて、できないよ!」と泣き叫ぶ母のエネルギーを背負っている。母という人をエネルギーでみると、なんだか泣き叫んでばかりだ。実際に、大人なのによく泣き叫ぶ人だった。そういえば、私は我が子の前で泣き叫んだことはない。というか大人になって泣き叫んだことないかも…
泣き叫んでばかりの人生って大変そうだなぁ…でも本当に泣き叫ぶようなことだったのか。本当に泣き叫びたいような気持ちだったのか?多分そうなんだろう。自分の足で歩く発想が1ミリもない。誰のことも頼れず、信頼できなかったのだろう。自分のことも。
左胸の痛み。ここに孤独が詰まっている。全身が震えるような、芯から凍りつくような、恐怖に我を失う。
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