死、命、存在 怒りが全身を駆け抜ける

死というものを、私は実は全然理解していないのではないか?と感じたのは1ヶ月くらい前。

きっかけは、知人が書いた文章。とても美しく、もう既に何十%かは死んでいるのではないか?と思うほど透明感を感じた。死は、二つのパターンに分けられるのではないかと私は最近感じている。ネガティブなエネルギーによってもたらされる死と、そうでない死。ちょっと都合がよすぎるかな。

いろんな人の話を聞いていると、最初から決まっていた寿命を感じることもある。学びのエネルギーの重さに肉体が耐えられなくなったときに亡くなるのかなと思うこともある。死そのものが学びであると感じることもある。結論としては、よくわからない。

感じたのは、死ぬって”消える”ってことなんだということ。残された側の心に残ることや感じることはあっても、それは残された側の話。その人の人生は死んだときに終わる。消える。消える…

母が亡くなったのはもう22年も前のことなのに、私は母の命が消えたことをわかっていないような気がする。命の重みをわかっていないような気がする。自分の命も人の命も。

最近のクリアリングで、母が亡くなるところをみた。母と父はとても美しく別れの時間を過ごしているようにみえたけれど、私の存在は完全に無視されていた。それはこのときに始まったことではなく、ずっと前から。パートナーに絶対的に存在をゆだねる母のドラマ。

人によってパターンはあるけれど、私の場合、存在を否定されたように感じるとき、存在が人より劣っていると感じるときに、ある種の「丁度よさ」を感じる。これは貰いもののエネルギーでそう感じるだけであって、もちろん本来の自分はそんなことは望まない。

忘れていた怒りや悲しみを感じると、体からエネルギーが抜ける感覚がある。痛みや違和感が明らかに消えることもある。

数週間前、存在の欠如のクリアリングをしているときに猛烈な怒りが体の奥から湧きあがってきた。全世界をぶっ壊してやりたいと思うほど強い怒りが全身を駆け抜けて、思いっきり泣いた。もう一人の自分が「えっ、そんなに?」と突っ込んだけど、存在を否定されることは全世界を壊したくなるくらい辛いことなのだとわかった。怒り狂ったらお腹がすいて、真夜中にインスタントラーメンを食べた。美味しかった!


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