外見へのジャッジ ≠ エネルギーのうつくしさ

先週末は少しだけ雪がふりました。こどもたちは雪をかき集めて特大ゆきだるまをつくって大盛りあがり!

8歳の娘は「どうしても持って帰りたい。」と言って、家からバケツを持ってきてぎゅうぎゅうに雪を詰めて、部屋で眺めて楽しんでいました。

近所の森も雪化粧。自然ってなんでこんなにきれいなんだろう?と考えていたら、ふと、点と点がつながりました。

今まで、とくにお花をみるたびに思っていたのです。人間が意図的に何かをしたわけではないのに、この生まれながらにして完璧なうつくしさは何なのだろう?と。

すべてはエネルギーのうつくしさなのですね。今まで見ための素晴らしさに感動していたつもりでしたが、エネルギーのうつくしさが先にあって、そこから私達の美意識や感性が育っていったのだと思います。

そこで思いだされるのは、外見に対するジャッジです。人を顔や体型で判断する傾向も、感情問題の一つです。自分の本来の姿や年齢への強いコンプレックス、顔かたちで人をみて決めつける、などは外見へのジャッジです。

このエネルギーがある人は、外見で人を見る・見られる世界でずっと生きることになります。同じエネルギーでも個人差があるので、ものすごく気になる人、少し引っかかる人など様々です。エネルギーが強すぎて逆に無頓着になる、外見を重視する文化や社会に強く憤るなど、感情問題の出方は人それぞれです。いずれにしても、このエネルギーが邪魔をして本来の愛から遠ざかるのが最大のデメリットです。

このエネルギーがない人は、いい意味でさらっとしています。私がこういう人をみていて一番いいなと思うのは、相手の本質をちゃんと感じて関われるところです。深いところで人とつながることができるので、本当の意味で自分も相手も愛せるのです。

元々のつくりがきれいな人でも、エネルギーの調子が悪いときは違ってみえます。逆に、顔かたちもメイクも変わっていないのに、クリアリングしたらきれいになった!ということは多々あります。造作がどうこうというより、その人本来のエネルギーのうつくしさが全面にでてくるのです。

私の両親はどちらも外見へのジャッジが強い人で、私もこのエネルギーをしっかり貰っていました。昨年このテーマのクリアリングをしたのですが、何より驚いたのは、自分がこのエネルギーを持っていることにそれまで全く気づかなかったことです!多少あるかなぁと思考ベースでは理解していたのですが、蓋をあけてみたら、想像以上に不自由な世界にいたことに気づかされました。エネルギーって本当に感じてみないとわからないものです。

外見のジャッジの原因は、姿かたちではありません。「外見でジャッジする」という根本を変えなければ、何をしても同じ課題とぶつかって堂々めぐりすることになります。


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