何をしても認められない存在

この1ヶ月でわかったことをいくつか。

私は16歳でアルバイトを始めてから今にいたるまで(25年以上!)、常に「働く」ということをしてきて、とにかく仕事が好きだった。どんな仕事もやりはじめたら楽しくなった。そして、いつも働きすぎていた。ほどほどに、自分のペースで働くということが出来ず結局は苦しくなった(しかしエネルギーワークの仕事だけはこの傾向に当てはまらない)。自分はそういう性格なのかなと思っていたけど、違った。

私はずっと存在を欲されたかったのだ。当たり前だけど、アルバイトでも会社員でも、組織としては通常は急に休まれたり辞められたら困るものだし、しっかり仕事をすれば評価される。きわめて普通のことだけど、それが私にとってどれだけ特別なことだったか。どれだけ「埋まる」感覚を味わえたか。その感覚を辿っていくと、私が母から欲されていない、何をしても認められない存在だったことに行きつく。そういう角度からみていくと、腑に落ちることがたくさんある。

母の愛や優しさを感じたこともある。でも、何かが違う。それは母の心に余裕があるときにくれたものなのか、母の心の余裕に関係なく私が求めたからくれたものなのかの違いだと思う。

存在とは何なんだろうと最近またよく考えている。誰かから欲されれば存在ができるというのは間違いで、でも存在がある人は誰かから欲されるように思う。思えば私が過去に付き合った人、私を好きになってくれた人は必ず仕事仲間で、それは私が仕事に欲されている(と思い込む)ことで(一時的にではあるが)存在ができて軸と余裕を持てていたからなのだろう。

エネルギーワークを仕事にしてからはこういう傾向はなくなったけれど、そのかわり、仕事以外で無理をして人に合わせすぎる、実際そこまで求められていないのに勝手に重荷に感じる傾向はあったと思う。誰も頼んでないし、求められてないのに。

親に存在を認められなかったから、こどもの存在がなくなるってどういうことだろう。私の感覚では「自分が感じていることがわからなくなる」これに尽きる。感じたくないから、感じていることがわからなくなる。


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