現実を凌駕するエネルギードラマ / ある友人との関係 / ソウルメイト

最近また改めて、エネルギーワークをやっていてよかった!としみじみ思うことがありました。

オランダで出会った、ある友人との関係について。

スピリチュアルな表現をするなら、ソウルメイト。魂の友達、学び合う仲間という感じです。

彼と出会って3年くらいですが、今思えば出会って3ヶ月くらいした頃にはもう何十年来の友達のような感覚でした。将来おばあちゃんになって耄碌したら、地元の友達と混同して懐かしいね〜って昔話しちゃいそう。この感覚は会社員やってた頃の同期にもあります。同じ釜の飯を食った仲間って感覚かしら。

英語・オランダ語どちらも謙遜なしで微妙なままの私。語学力が微妙だと、生活はできても心の細かなところを表現して理解し合える関係を築くって中々難しいものですが、何故か彼とはそれができる。もしかしたら言葉そのものはあまり通じていないかもしれない。でも心が通じ合える感覚が確かにある。

移住当初から私なりに積極的に外にでて、いろんな人と出会ってきたけれど、こういう関係になれたのは彼だけ。そこそこ大人になってもこういう出会いがあるなんて、人生って不思議なものです。

と、ここで美しく話が終わればいいのだけど、人生には学びがつきもの。とくに縁の深い関係ほど感情問題も濃くでます。

他の多くの友達には感じない感情の引っかかり。一緒にいるととても楽しいのに、その現実を凌駕する勢いで自分のエネルギー世界のドラマに飲み込まれる。ドラマとは、思い込み。自分だけが思い込んでいる前提、結論。

例えば、私はどうせ愛されないとか、人はどうせ裏切るとか。その思い込みを突き詰めていくと、「本当は自分がそんな人」ということ、そして「自分は親からそういう扱いを受けていた」ということに行きつきます。「どうせ愛されない」という前提がある人は(その自覚がない人も多いですが)、実はその人自身が誰のことも愛せない。愛するってことをわかっていない。自分のメリットが得られそう=この人が好き、と思ってしまっていたりします。そしてその人自身が、本来愛を学ぶはずだった幼少期に十分な愛を貰っていないのです。

十分な愛を貰ったことがないから、愛がわからない。ここを自分の力で越えていくのがエネルギーワークです。自分の中にある愛を掘り当てて、自分から愛を出せるようになると、愛が貰えなかった過去すら自分の愛で包めるようになります。そこまでいくにはそれなりの時間と努力が必要ですが….!

そんなわけで、この3年間、私は彼との関係のなかで本当に様々な感情をたくさん味わいました。彼の優しさを素直に受けとれなかったり、自分から親切にしたくせに損した気持ちになったり、何の悪気もない発言を冷たいと思ったり、むしろ根気よく話に付き合ってくれてるのに話のわからん奴だと思ったり、こう書いていくと本当にいい友達なの?という感じですが。すべて私のネガティブなエネルギーフィルターによるものでした。先日、急にそのことに気づきました。

最近プライベートでオランダ社会と関わらなきゃいけいない状況が多く、(とくにオランダ語が)もう無理!!!と思うことが多かったのですが、まわりのオランダ人の友人達が本当に親切に助けてくれました。私が感じるオランダ人の優しさって、日本の優しさと肌触りが違って、大型犬がそっと木の棒をくわえて、さりげなく横に立って、いつでもこの棒つかってね、みたいな、そんなそよ風のような優しさなのですが、中でも「この人って本当に優しいなあ。」と感動するくらい助けてくれたのが、彼でした。

そこで今更ながら思ったのです。この人はずっとこういう感じだったな、と。

今まで私は自分のエネルギーの世界で勝手に傷ついたり憤ったり、コントロールしようとしたり、いろんな感情が渦巻いていたけれど、それらはすべて自分の感情問題で、目が覚めたら、ナチュラルに優しい友人がそこにいて、そうか、あれもこれも幻だったと過去の記憶が一気に書き換えられていきました。後から思えば腑に落ちることはたくさんあります。こっちが思い込みの世界にいるときは、あっちからしたら「!?!?」という言動や行動をしてしまうもので、そういう反応をされたことなどがこそばゆく思い出されます。

数日前、「Sayoは内弁慶で知らない人と話すのが苦手だって言ってたけど、めっちゃ社交的じゃん!」みたいなことを言われて、一瞬えっ?と思ったのですが、そういえば私の中で「内弁慶で口下手な人、かっこいい」「繊細にみられて優しくしてもらえそう」という謎の思い込みがあって、私って内弁慶なんだよね〜と前に口走ったのを思い出しました。実際は、まあまあ社交的で初対面の人と話すのも苦手ではないのに。一人で演出かけて、自分以外のものになろうとして、、恥ずかしすぎます。

エネルギーワークをしていなかったら、この恥ずかしさにも気づかず突き進んでいたかもしれません。それ以前に、感情問題のところで止まってしまって関係が難しくなっていたかな。大切な関係ほど、感情問題で駄目になる。壊してしまう。過去を振り返ると、そういう人間関係ばかりです。感情問題を越えるということは、やはり並大抵ではないのです。それでも、こんなふうに人と深く関わって感じる温かさは本当にかけがえのないもの。人はこのために生きているんだ、これ以上に大切なものはないと強く思います。

 


クラス・セッションは随時受付しています。

お問い合わせ・お申込みはこちらからお願いいたします。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA