「もうこれ以上ドラマが出来ない。」というところまで来ると、人は死ぬ。

季節はずれの写真ですみません。最近、忙しすぎて写真を撮れていません、、、

8月初旬〜今まで本当に忙しかった。ちょっとしたリーディングも含めると、1ヶ月で500人以上の方のエネルギーをみさせていただきました。

ここ数年は上級者クラス、またはエネルギーワークをやりたい!という意志をもった方向けの仕事が多かったけれど、より幅広く、いろんな方のエネルギーをみさせてもらって、新たな発見も多く、すごく勉強になりました。そしてエネルギーワークがもっと好きになりました♡

さて今日は存在について書きます。

私自身、存在の欠如という課題にずっと取り組んできたのですが、最近、存在の欠如って全ての感情問題に通じてるな…と思うようになりました。

もちろん個人差はあります。

でも、感情問題の裏には必ず愛の欠如があり、それは存在の欠如でもあるのです。

上級者のクリアリングで「ドラマ」という言葉が時々でてきます。

自己陶酔、自分だけの世界に浸るのもドラマですが、激しく浮遊してミスを繰り返す、恋愛に依存してボロボロになる、いつも被害者(or加害者)になっている、感情のアップダウン、自信のなさ、ネガティブな感情に翻弄される、など、本来の自分ではない=感情問題が出てきているときはすべてドラマだと私は思っています。

こんな自分やめたい、こんな感情も体験も、もういらないと言いながら、やめられないドラマ。

エネルギーを貰っているから、不完全燃焼の感情があるから、深いところで納得していないから、学びたくて、確認したくて、愛を得たくてドラマをやってしまう。

じゃあドラマをやらないとどうなるのか?と突き詰めていくと、「死ぬ。」(存在が) という一つの答えが、クラスを重ねていくうちに、ふわっとでてきたのです。ドラマをやらないと、死ぬ感じする、、、

何それ!?と思いましたが、確かに感情問題を拗らせて亡くなってしまう人は「もうこれ以上ドラマが出来ない。」というところで亡くなっています。

一つ一つのドラマは、どれもとても歪です。そして不快です。でもその歪さ、ネガティブさに翻弄されているときの心の揺れそのものが、ドラマを持つ人にとっての存在なのです。ドラマをやることで存在を強調するのではなく、ドラマをやって初めて存在が出来るのです。(※幻想です)

ドラマって、客観的にみると「なんでわざわざそんなことするの?」「こうすればいいだけなのに。」というくらい、ちょっとしたことだったりします。それでも、それが本人にはどうしても譲れなかったり、わからなかったりするのです。存在の有無に関わることは、本人にとっては本当に生きるか死ぬかくらいのことだからです。

人は心で生きている…ということを、今改めて実感しています。


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