「私が私じゃなかったらよかったのに」 言葉の意味ではなく、言葉に宿るエネルギーをみる

エネルギーの法則や仕組みは知っている、わかる。でも現実が変わらない、クリアになりきれない。こういう人は思考から抜けだせていない人です。

思考の世界は一つの物差しで物事をみる世界。一つの物差しとは客観的な事実です。でも客観的な事実って何でしょうか?

例えばリンゴを落としたら下に落ちるとか、人はいつか死ぬとか。そういうことならまぁわからなくもないのですが、感情問題をみるときに「客観的な事実」というものは存在しません。感情は主観100%で感じるものだからです。

人の数だけ世界がある。とても当たり前ではありますが、とくに身近な人に対しては一緒に同じ世界をみているように錯覚しがちです。実際どうなのかは確認も証明もできません。一つ確かなのは「自分はこう感じる」これだけです。

自分がみている世界は自分だけのもの。そこに他人を引きずり込んだり、自分が他人の世界に入り込んだりすることは絶対にできないのです。

このあたりの境界線がきっちりできると、自分の人生の輪郭が鮮明になり今というときの密度が濃くなります。境界線をもつことは孤独になることではなく、自分の人生や存在を明確にすることです。

エネルギーで物事をみるとはどういうことでしょうか。

最近の私のクリアリングを部分的に紹介します。余談ですが私が一番クリアリングが進むのは湯船に浸かっているときです。電気を消して全身全霊で集中してエネルギーの世界に入ります。

ある感情をみていくと、ふと幼少期のシーンが浮かびました。雨の日に自分の傘を差して母の後ろを歩いていて、傘が重くて早く歩けず、それで母が不機嫌になってどんどん先に行ってしまう・・・というシーンです。

「えっ、このシーン?何もなさそうだけどなぁ」と一瞬思ったのですが、パッと浮かぶシーンには意味があるものなのでそこで止めずに、その日の温度、空気、雨の不快感、傘の重さ、母の表情、声、置いていかれて惨めな気持ち、などをじっくり感じていくと、急に「私が私じゃなかったらよかったのに」という言葉がバーン!と出てきました。

何だこれは!?そんなこと思ったことも考えたこともないのに、その言葉を感じれば感じるほど涙が止まらないのです。体中からエネルギーが一気に上がってきます。

「なぜ私は私なのだろう」でもなく「私は私が嫌い」でもなく、「私が私じゃなかったらよかったのに」。この言葉にエネルギーが宿っているのです。本丸は言葉の意味ではなく言葉にくっついている感情なのです。物理的な状況も関係ありません。

「私が私じゃなかったらよかったのに」は、そのときの母の心の叫びのようなものでした。私はそれを貰っていたのです。

クリアリングで思考を止めて感じることだけを辿っていくと、途中は全く意味がわからなかったり、最後まで何がどう繋がるのかわからなかったりします。

そこで思考に流れずに踏ん張れるか、感じることを信じられるかがポイントです。ちょっとでもエネルギーに触れたら意地でも手を離さずに引っ張りだして感じ尽くす。楽な作業ではありませんが、その先には本当に素晴らしい世界が待っています。


開催予定:

【上級者クラス】

611日(金)13日(日)

【レベル1

525日(火) 612日(土) 19日(土)

【レベル6

527日(木) 31日(月)

【個別セッションプラクティショナー養成クラス】

530日(日)

【お金のエネルギーを学ぶクラス】

618日(金) 20日(日) 26日(土)

【病気のエネルギーを学ぶクラス】

619日(土) 25日(金)27日(日)

※クラス・セッションは随時開催しています。お問い合わせ・お申し込みはこちらからお願いいたします。

 

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