感じるだけでいい。クリアにならないのは、まだ感じていないから。こういう表現は主に中級レベル以上のクラスやセッションでよく出てきます。
「感じる」ということが明確にわかってくるのは、エネルギーワークをはじめて大体1年前後の頃です。もちろん個人差はあります。傾向として、「私はすごく感じてます!」と思っている人ほど浮遊が激しく、感じられていないことが多いです。
感じることを確認する一つのポイントは、涙がでるかどうかです。感情というエネルギーがわきあがってきて外に放出される感覚。ですがこれも絶対ではありません。自己陶酔のドラマに浸っているときの涙は、感じている涙とは違います。
先日、ちょっとした目の不調を感じたのでハウスアーツ(家庭医)に電話しました。
体感でもネットの情報でも、大したことはなさそうだな…と思ったのですが、ハードコンタクトユーザーなのにもう5年も検査していないし、久しぶりにちゃんと診てもらいたいなと思って少し大げさに症状を伝えました。(オランダの病院は「ぱっと見た感じ元気そうだから大丈夫!」と問診だけで明るく終了することが多いので…)
すると思いがけず「今すぐ来て」と言われ、そのまま紹介状を渡されて大きな病院の専門医へ。来週か再来週に予約が取れたらいいな〜くらいに思っていたのに、なんだかすみません、、、と思いつつ、長い待ち時間にいろんな感情を感じることができました。
その中の一つが、祖母の感情です。今回、すぐに専門医に診てもらえた理由の一つが「近親者が目の病気で失明していて気がかりだから検査したい」と伝えたからだと思うのですが、私の祖母は私が生まれてまもなく失明しています。
いつどのように異変に気づいて、どんな処置をしたか、手術や再手術など詳しく話を聞いてきたし、祖母と会うときには目の見えない彼女をサポートするのが当たり前のことでした。さらにエネルギーワークをはじめてからは、祖母の目とエネルギーがどうリンクしていたのかもわかるようになった…つもりでした。
でも。今回、ふと「おばあちゃんは、今の私みたいに普通に目が見えていて、あるとき急に見えなくなったんだな。その後いろんな治療をしても回復しないまま30年以上も生きたんだな。」と思ったら、ものすごい衝撃と恐怖が襲ってきたのです。体の感覚や体温がなくなって、全身の血の気が引いて、人生の軸や焦点がなくなる感じ。当然あると思っていた未来や日々の生活が一瞬で失われるような感覚です。
私がその感覚を感じたのはほんの数秒でしたが、それが現実となった祖母は一体どんな気持ちだったのだろう?祖母はとても身近な存在だったし、何もかもわかっているような気になっていたけれど、こんなに重たいエネルギーを持っていたとは感じるまで気づけませんでした。私は実は全然わかってなかった、こんなにも感じていなかったんだと思い知らされた出来事でした。
日々いろんな人のエネルギーをみているので、病とエネルギーの関連性や感情のパターンや傾向などは大体わかります。でも、それでその人のすべてがわかったと思うのは間違っているし、誰もが自分のエネルギー問題と格闘し学んで生きているのだから、誰の人生もジャッジできない、軽々しくわかったなんて思うのは傲慢なことだなと改めて思います。誰のことも完全にわかることなんて出来ない。だからコミニュケーションが必要なんですよね。
今回のように、とくに親や身内に対して「わかったつもりでいる、けど実は全然わかっていない。感じていない」という人は私に限らずすごく多いです。事実の流れを自分流に解釈して、自分に都合よく思考でまとめて「わかっている」と思い込む。これがクリアリングの壁になります。
「感じる」とは、理屈も説明も一切なしで、エネルギーの塊をそのままダイレクトに感じることです。
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