暴力/ 虐待 / クリアリング

※この記事は、暴力について書いています。

※過激・不快だと感じる可能性があります。苦手な方にはおすすめしません。


私のパートナーシップの歴史は、暴力の歴史でもある。

髪の毛を掴んで引きずりまわされ、物を壊され、暴言を吐かれ、、、

よく、こう言われた。「殴りたくさせるお前が悪い」

***

「殴るような男が好きなんでしょう?」

「Mなんでしょ?」

これらは、私が身体的な暴力から抜けだして数年経って、過去の経験を人に話したときに言われた言葉。

言われて全身の毛が逆立つような怒りを感じた。冗談じゃない!

だが、それからさらに数年後、これらの言葉がある意味では正しかったことを知る。

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ほんとうに様々なかたちの暴力を体験してきたけれど、なかでも強く印象に残っているのが「首をしめられる」ことだった。

息ができない。抵抗しても、振り払えない。相手の顔がはっきりとみえる。意識が遠のく。

あるとき奇妙なことに気がついた。

あの首をしめられる感覚は、喘息発作と同じだ。

喘息を発症したのは3歳の夏だった。

私の喘息は特徴的で、咳がでない。喘鳴も殆どない。ただ呼吸が出来ない。

病院で酸素濃度を測ると「そんなふうにみえなかったけど、かなり苦しいでしょう?」と、よく言われた。

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エネルギーの勉強をはじめて初めてのクリアリングで出てきたシーンに、私は心から驚いた。

3歳のときに、母に首をしめられているシーンだったからだ。

そんな記憶はなかったし、自分がそんな経験をしていたなんて思いもしなかった。

でも、「そんなはずはない」なんて考える余裕もないほど鮮明に、当時の感情が迫ってきた。

冷たさと温かさが混ざる母の手の感触、母の着ていた服の模様、畳の匂い、、、

「死ね!」「死ね!」「お前さえいなければ!」という、母の声にならない声。

気を失って目を覚まして「もう死んだ?」「私はもう死んだ?」と母に確認したこと。

自分がなぜ暴力と共に生きてきたのか、なぜ平和なパートナーシップが築けないのか、、、

自分の奥深くにあった真実に初めて触れた。

 

***

「お前さえいなければ」という言葉は、いつからかスローガンか何かのように私の心のなかに常にあった。自分さえいなければ。いざとなったら死ねばいい。

しかし、それが母から言われた言葉だったのは予想外だった。

それは確かに母が私に言った言葉だったが、母が母に対して感じていたことでもあったのだと思う。

おそらく、母も幼い頃にその言葉を誰かに言われて、そのエネルギーを自分に取り込んだのだろう。

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若い頃から、優しくて穏やかで、絶対に暴力を振るわないタイプの人と付き合うと、何かがしっくりこなかった。

満たされない。つまらない。

あたたかくて平和な場所で、自分が大切にされると物凄く居心地がわるくなる。逃げだしたくなる。

強く心が揺さぶられ、こんなに自分から好きになれる人はもういないだろう、と思える相手と付き合うと、最初の数ヶ月や数年は何もなくても、いつもいつのまにか暴力が日常になった。

暴力の直後は激しいショックや怒りや悲しみでいっぱいになるのに、ほんの数時間でネガティブな感情が完全に消えて、何事もなかったかのように過ごせた。

「こんなに暴力をふるわれても全然平気なんて、私は本当にこの人が好きなんだな。」と思っていたけれど、違う。

そうやって感情を麻痺させて生きのびるのが、私の生存戦略だったのだ。3歳の頃から。

暴力が愛やコミニュケーションだと思い込んでいたからこそ、暴力のエネルギーをもっている人に惹かれて、その人から暴力を引き出していたのだ。

もちろん、暴力は愛ではない。でも、そう思い込んでいる。

思い込んでいるけれど、本当は違う。違うから、違和感がある。納得していない。

だから、知りたい。確認したい。体験したい。それで、自ら暴力という現実をつくりだしていた。

暴力は、殴る人と殴られる人がいなければ成立しない。私が殴られる原因は、私のなかにあったのだ。

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エネルギーワークに出会う前はアカデミックな心理学を勉強していて、様々なセラピーや心理療法を受けてきた。

そのなかで、どうしても納得できないことがあった。

意味はわかる。理解できる。でも、ネガティブな感情が消えない。すっきりしない。変わらない。

私のケースをみても、他の多くのケースをみても、誰がどうみても確かに親のほうに問題がある。

でも、「自分は被害者である。」という認識があるかぎり、親へのネガティブな感情は消えない。

確かに3歳の自分は悪くない。責任は親にある。でも、大人になった今の自分の人生の責任は誰にあるのだろうか?

どんなに正当な理由があったとしても、誰かを恨んだり憤ったりすることで自分の感情は重くなる。

その重たい感情を感じるのも、引き受けるのも、自分。誰かに肩がわりしてもらうことは出来ない。

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クリアリングは、理屈や記憶ではなく、そのときの感情を感じきる。

自分の感情だけでなく、親の感情も感じきる。これが、すごく重要。

感じきればすべてがわかる。

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数年前の私は、親への恨みつらみをどっさりもっていたので「なんで私から親の感情を理解しなきゃいけないんですか?悪いのは親のほうなんだから、まず親から歩み寄るべき!絶対にゆるさない。」などと思っていた。

でも、誰が悪いとか、どちらから歩み寄るとか、そういうことより「自分のエネルギーをクリアにする」「自分の人生をよくする」ことのほうがずっと大事。自分の人生なんだから。

 

 

 

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