前回の記事で、大切な友達が言ってくれた嬉しい言葉を信じられず、逆にネガティブに受けとってしまう件について書きました。
つづきです。
上級者クラスの録音を何度もききながら、もしかしたら、この友達は本気でそう思って言ってくれているのだろうか?と、何度も何度も自問しました。
客観的にみたら私の解釈が明らかに変なのですが、エネルギーフィルターがかかると幻想しかみえないので、「おいSAYO、誰もそんなこと言ってないし、勘違いや誤解を超えて創作になってるよ!」という解釈をしてしまうのです。
幻想には様々なパターンがあって、本当は嫌われているのに好かれていると思ったり、その逆だったり、いろいろです。
ひとつ共通しているのは、自覚がもてないこと。自分が幻想をみていることに自力では気づけません。
何か、目が覚めるような大きな出来事があれば別ですが、普通に暮らしていたらまず難しいでしょう。
どんなに歪んだ解釈でも、本人にとっては100%完璧な真実なのです。
数えきれないほどクリアリングをしてきて、他の人のクリアリングもたくさんみてきた私ですら、「ぜんぜん自覚はもてないけれど、現実に引っかかりを感じるし、エネルギー仲間もそう言っているし、過去のパターンからして幻想なんだろうな。」という程度の感覚です。
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返事のないドアを、何度もしつこくノックする。いつか返事が返ってくると信じて。
私がクラスでクリアリングについて話すときに、よく使う表現です。
自分が感じていない感情を思いだすには、時間をかけて粘り強く向き合うしかないのです。
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自問自答しているうちに、いくつかの過去のパターンが自分のなかに浮かんできました。
過去に同じようにポジティブなことを言われても、仲良くしてくれる人がいても、「そんなわけないよね。」と自分独自の解釈をしてきたこと。
その解釈(例:他に遊ぶ人がいないから仕方なく私と会っているんだろう)に、根拠はあるのか?
なぜそう思ったのか?どんな感情だったのか?
昔の自分に戻って、シーンのなかで感じて、ボタンの掛け違いをひとつずつ直していきました。
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現時点で何%くらいクリアになっているかわかりませんが、現実の変化はいくつもあります。
やはり一番の変化は、親に対する感情が変わったことです。
親との関係はこの数年ですでに劇的に変わっていて、もう十分いい関係だったのですが、さらに一段階深く親を理解して、愛を感じられるようになったのです。
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友達との関係も変化しています。
恥ずかしながら、これまでは私が自分の話を聞いてもらうほうが多く、おおらかな保護者(友達)と我儘なこども(私)みたいなところがありました。
それが、もっと相手を理解したい、相手がどんな世界にいて、どんな感情を感じているのか深く理解したい、という気持ちがわいてきたのです。
それは本当に涙がでるほど幸せな感情です。
気が合うとか、理解してもらうとか、そういうことが人間関係における幸せだと思っていたのですが、もしかしたら、そういう自分の心地よさではなく、自分から相手に関わっていく、この人と関わりたいというwantそのものが、もっと本質的な根源的な幸せなのかもしれません。