最近、自分が教えるクラスでこういう言い方をすることが多い。
「せっかくエネルギーワークをやっているんだから」
(普通の感覚で生きている人には不可能なことも、できるよ。)
エネルギーワークをすると自由になる、生きやすくなる、エネルギーベースで生きられるようになる。
エネルギーが変わると世界が変わる。
自分だけの常識(幻想)をどんどんなくして、軽くなって、まるで赤ちゃんのようにみずみずしい感性で、同時に、経験を重ねた成熟した大人として、気持ちよく生きられるようになる。
じゃあ、好きなように、自由に、勝手に、常識をぶっ壊して生きていいのか?もちろん、そんなわけない。
生きていくうえでの最低限のルールとしての常識と、自分が常識だと思いこんでいる幻想は、まったく別もの。
例えば、相手の意志を尊重するとか、相手の意志に軸を預けず自分の意見を明確にするとか、嘘をつかないとか。
約束を守るとか、お礼をいうとかするとか、間違いに気づいたら謝るとか。
そういうことは、最低限のルールとして、お互いが気持ちよく生きるために必要な、一般的な常識、、ですよね?
だけど、例えば「世間体」という幻想を、当然の絶対の常識だと思いこんでいる人は、とても多い。
自分や自分の行動について何か言われるのではないかとビクビクしたり、世間体なんて大嫌い!と反発したり、誰かに認められることを期待したり。
それでやりたくないことをやったり、本当にやりたいことを諦めたり。人生がどんどん意に沿わない方向に転がっていってしまう。
こういう人の場合は、親から注目されたいのに注目が得られなかった幼少期の寂しさが転じて「人目が気になる」と錯覚していることが多いようだ。
クリアリングしていくと、親もまた世間体という幻想の中でがんじがらめになって生きていた真実がみえてくる。
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先日、”人間に自由意志はあるのか、ないのか”について父と議論した。
父は、ずっと前から「自由意志ない派」。人格も人生も育った環境で決まり、自分は運が悪かったから嘆くしかない、という考えだったが、最近、「自由意志ある派」になったらしい。
父いわく私の影響なんだって。とくに私が何かしたわけではないのだけど「この前オランダに行ってからエネルギーが変わった、こんな自分でも、この年でも変われた。」と言っている。
自由意志について。
私は、自分にコントロールできないものをありのままに受けいれて、自分にコントロールできるところは自分次第、というのが自由の本質だと思っている。
自分次第の領域は、想像していたよりはるかに大きくて、あまりにも自由で、ちょっと途方にくれるくらいだ。
あなたは、どう思いますか?一緒に学ぶ仲間をお待ちしています。